加藤 孝明 先生からの回答
加藤 孝明 先生
東京大学生産技術研究所教授及び同社会科学研究所特任教授。都市計画、地域安全システム学。博士(工学)。社会資本整備審議会河川分科会小委員会委員、東京都火災予防審議会、防災会議地震部会の他、国や自治体の都市防災分野の専門委員や都市計画分野の専門委員を歴任。また東京都、神奈川県、政令指定都市の数多くの地震被害想定に携わる。最先端のデータ分析による災害シミュレーション研究を行う他、防災を主軸とした地域づくりの理論構築を行う。また「防災【も】まちづくり」を提唱し、これからの時代に即した総合的な地域づくり、都市づくりを先駆モデルを各地で実践する。地域安全学会論文賞、都市計画家協会楠本賞、地区防災計画学会論文賞等を受賞。
【講演内容】
『コロナと防災』
『気候変動の時代と温故”創“新』
『防災の根幹問題とそれへの対応』
『防災【も】まちづくり』
コロナ禍では、オンラインでの仕事に従事する方が増えたことにより、特に都心部の飲食店等、圧倒的な不利な環境に立たされる仕事が出てきます。
さらに夜間の営業も縮小となり、その状況はより厳しくなっています。
まちの機能やライフスタイルが変わっていくときに取り残されてしまう人たちに、行政は、限られた財源の中で(或いは将来に債務を先送りする中で)、どのようにチャレンジを促し、どのようなセーフティネットを構築すれば良いのか?
現状、国も自治体も努力や工夫を積み重ねていることは分かりますし、加藤先生のご専門ではないかもしれませんが、あえて、伺いたく存じます。
→ 社会のシビルミニマムを明確に定義し、環境の激変によってそれを下回ってしまう層に対してセーフティネットを準備することが重要な視点である。
逆にシビルミニマムを下回らない(当然、元の水準よりも大幅に下落しているが)層に対しては、元に戻る以外の選択肢を奨励する、変わる力を促すことが重要だと思われます。
これはコロナにも自然災害にも言えることだと思います。
弱者を優先で助ける必要があるのは当然ですが、得てして弱者は見栄を張り自分は弱者ではないといい、逆に強者は弱者のふりをして自分を助けろということが多々ありますが、弱者と強者の線引きはどこですればいいのでしょうか?
→ 声の大きい層に引きずられる傾向があると感じています。
声の大きい層は真の弱者ではないと思っています。
声なき声に耳を傾け、丁寧に社会をみる姿勢が大切であり、このことをもう一度思い返すことが重要だと思います。
線引きについては、シビルミニマムをどこにひくか、その定義によると思われます。
その定義に関して社会的議論を行う必要性を感じます。
気候変動により「災害を受け流していける地域社会」、公助頼りで済む時代が終わり、一定のリスクを許容できる地域社会の構築が必要であるとすれば、
核家族、インターネット等様々な影響によって、個々がバラバラの価値観で勝手に暮らしていこうとしている今の流れを断ち切って、
地域のつながりや絆を再び強めていかねばなりません。
そのためには、まず、誰が、何から手を付けていくことが必要でしょうか?
→ 昔に戻るということではなく、現在の社会に適した新たな地域のつながりを創りだしていくという発想が重要だと思います。
一定のリスクを許容することを社会が認識することでその第一歩がつくられると思っています。
水防災意識社会の再構築必要で『再』の字が大事とのことですが、
その前に、なぜ廃れたかの原因を解決しないと、今再構築してもまた廃れてしまうのではないでしょうか?
廃れた原因は一体何なのでしょうか?
→ 着実、確実にインフラ整備が進み、実際、水害が防がれ、水害経験が乏しくなったことが最大の要因だと思います。
安全・安心という言葉がありますが、安全水準が高まり、安心しきってしまうと、「廃れ」、結果として社会全体が安全でない方向に向かうというのが現状だと理解しています。
目指すべきは、安全・ちょっと不安な社会かもしれません。
加藤先生のお話を聴いていて、我々日本人は、いつの間にか行政を頼って、困ったときはなんでも公がやってくれる、という意識に取り付かれてしまったと感じました。
「自分の身は自分で守る」或いは「自分『たち』の安全は自分『たち』で守る」という意識への変換を図るため、政府や研究機関はもっとマスコミを動かして、
大衆へ繰り返し繰り返し自助・共助の啓発を「具体的」且つ「簡潔に」行うよう努めて欲しいと要望します。
→ 災害が起こるたびに、行政(例えば、河川管理者)の落ち度を追求する事例が散見されます。
一方、行政は対策・対応の検証報告書を作成し、今後の改善点を明らかにします。
さらに復旧の際には、同じ災害を繰り返さないことを目指すと政治、行政は宣言します。
この状況を見る限り、常に次の安全神話を創り出すメカニズムが働いていると言わざるを得ない状況です。
行政や政治からは、なかなか発言しにくいことなので、内発的に市民が目覚めるしかないと思います。
市民が目覚めるためのきっかけづくり、さらに市民の内発的力を育むしくみを定着させる必要があります。
別途、研究成果がありますので、機会があればお話ししたいと思います。
パチンコ店が避難所に適しているのは分かりました。
また、被災後早々に営業をすると周りから顰蹙を買うのでその間、場所の提供を行うのも納得できる考えです。
世間から疎まれている場所が、災害等の非常時には最も助けになるというのに、
平時には邪魔だから取り除こうという世間の認識を改めるにはどうしたらいいのでしょうか?
→ レジリエンスを高めるという言葉があります。
被害を減らし、対応力、回復力を高めるという意味です。
それを構成する要素として冗長性「リダンダンシー」という概念があります。
例えば、ライフラインのようなネットワーク型の構造物では、ツリー型が最小のラインで全域にサービスを提供することができます。
しかし、災害でどこかが途絶すると、被害が広範に広がってしまう。
これを防ぐために余分なラインをいれることで迂回路をつくり、部分の途絶が全体に広がらないようにするという考え方です。
要は。
地域のレジリエンスを高めるためには、無駄なものを平時に上手に抱えておくということが重要だと考えています。
また、多様性も重要な概念だと思います。
均質な要素だけで成り立っている場合、すべて全く同じように被災します。
多様性があれば、自然の外力に対する感度もまちまちです。
多様であればあるほど、被害は平準化される傾向にあります。
その意味で、パチンコ店という一見無駄な施設があってよいと思います。
なお、パチンコ店を取りあげた理由は2つあります。
一つは、非常に分かりやすい説明になるからです。
もう一つは、パチンコ店が直後から社会貢献していれば、他の災害時遊休施設を持つ会社も同じ行動をとらざるをえないという読みがあるからです。
つまり、パチンコ店の行動が地域の資源拡大を促すことにつながることが期待されます。
まちづくりは、ただただ安全のみに視点が偏るのではなく、まずは人が集まり、産業があり、防災がある、という当たり前のことが重要。
私たちが意識できていないことを分かり易く説明して頂き、ありがとうございます。
→ 「防災【も】まちづくり」の考え方が重要だと思っています。
まちづくりに防災を織り込む際、一番に組み込むべき要素は何になるのか(例えば人命尊重のための時間稼ぎなのか?頑強な建物なのか?etc.)、
都市部での事例、郊外での事例等、具体的に聞いてみたいです。
→ ハザード特性、地域社会の物理的環境、社会特性に応じていろいろだと思います。
重要なポイントは、受容するリスクの大きさだと思っています。
そこを起点に多様な組み合わせから解を地域社会で選択することになるというのが基本構造だと思います。
さらに解は、一つではなく、多様な解があり得ます。
このことも留意すべきことが重要です。
面白い事例は、私が関与したものも含めていろいろあります。
またの機会にお話ししたいと思います。
まちづくり及び都市の開発について。
例えば、まもなく新宿駅西口駅前にて、
小田急百貨店の建て替えに伴う大規模な再開発が始まりますが、
例えば、この地域に取り入れられる防災としての観点は、どんなものになりますか?
→ いろいろあります。
再開発が進めば進むほど、その街区だけではなく、周辺地域を含む地域全体が安全になっていくというメカニズムを働かせることが重要です。
まさい「安全のお裾分け」機能が重要だと思います。
開発者、地権者にとってもメリットのある「安全のお裾分け」機能とは何か、という視点で考えると見えてくると思います。